Monday, October 31, 2011
~ 幕間 ~
早いもので時節は神無月から霜月へと。
SLingのオーナーは出雲の方にでも行っていたのでしょうか・・・w
SLを始め右も左もわからぬ私が最初にたどり着いたのがSLingHokurikuでした。
思えば全てはこのSIMで始まり、毎日のようにこのSIMで過ごし、
たくさんの人に物を教わり、おっかなびっくりちいさな店を構え、
泣き笑い、たくさんの人に出会いました。
あれよあれよという間にSIMは埋まり、やがてSLingというSIM群となり、
しかしオーナーひとりの身の丈を超えてしまっていたのでしょう。
この機に少しだけ身の丈に合わせるようにしたようで。
この世界の終わりを見るというのが、続けている目的の一つの私は
いつしか漠然とそれはSLingで見ることになるのだろうと思っていました。
勝手にきっとHokurikuは最期まであるんじゃないかと。
SLingは手の行き届かないSIMを手放し、縮小して元気に続けていくようです。
SLingHokurikuは無くなってしまいますが、移り変わっていくことも
魅力の一つであることは確かでしょう。少し寂しいですけどねw
今までありがとう
SLingHokurikuの閉鎖に伴い、RADENも一時小休止します。
11月中旬からMarketPlaceを再開し、移転先が整い次第本店の再ビルドの予定。
それまではしばし手を休めます。
SLでの活動を休止するわけではなく、というか・・・
移転先はもう決まっているのですが、まずその移転先をビルドしないと
いけませんので、それどころではないというのが実情です。
例によって毎日のようにインするのでしょうし、疲れたらひょこひょこ遊びに
ふらつくというパターンは変わらないだろうなと。
ほんでもちょっと忙しくすると思います。
結構長くなってきたSL人生も11/4あたりから新たな一歩となります。
My secondlifeの2nd seasonですねw SIMを持ちます。
世界の終わりは自分のSIMで見るという夢が見れるようになるのでしょう。
胸は少しの不安で小さいけれども、頭の中は夢いっぱいです。がんばるよ!
Friday, July 1, 2011
Black Label Last Day
黒箱と親しまれたBLACK LABELが営業を終了しました。
SLingHokurikuにあった頃から大変に楽しませていただいたお店でした。
思い返せばブラソニなど色々と懇意にしてくださいまして。
人見知りの私がたくさんの人と出会えたのも、この重金属塊に感謝です。
や、もうほんとに色々と楽しかった。
最終日は想定外のリスタなどお約束のイベントも起きつつ、
オーナーの話とスピンにて、落ち着いたさっぱりとした幕引き
まだ少し寂しい気持ちですがウツリニケリナです。
たくさんの想い出をありがとう ありがとう
またゆっくりみんなで話しましょう あははん♪
Thursday, April 28, 2011
Next Stageへ
お疲れさまでした。
思えば09年ののブラソニの熱狂も、10回忌に開いたゲートも彼のSIMでした。
託されたものをしっかりと受渡したのだと思います。
そして、まだ続くのでしょう
あまり言葉は要らないのかなと。
じっとしていられないようで、すでに新しいことを企んでるとか・・・・
Wednesday, February 2, 2011
為人
alirium (234, 226, 22)
SLの製作環境があるPCが壊れておりまして。
直す気力より好奇心の圧力のほうが大きい状況にありまして。
私にとってはSLでやっていることそのものなのですが、SLとは関係ない事を書きます。
手紙のような、日記のような。そんな構図を持つチラ裏的なことを今後書いていくタグとして、
Brain in a vatとつけました。あははん♪
------------------------------------------------------
先日懇意にさせてもらっている方のツイッターで村上隆の芸術実践論という
動画のことを知りました。ちょっと長いですが5回に分けてニコニコ動画にあるので。
非常に面白く見れますので。是非に。
視聴後、つぶやき主が次ような文章を書いています。
・すての抄:開発コード:double-H PART45
・すての抄:芸術起業論:村上隆
ちなみに私は芸術起業論も芸術闘争論も現時点で未読です。
近々読むことになると思いますけども。
個人的に、小説や映画・絵画のような作品を観るのも好きなのですが。
作った作者の言葉に、より強い関心があるので、こういう動画は大変興味深くて好きです。
ダイレクトにその人の「ヒトトナリ」にアクセスできるような気がして。
ましてや講義ですので勉強できることはもう間違いないわけで
もう何かをぶんどってくるような圧力を持って観たのです(笑)。
以下は上記の文章と芸術実践論の感想という形の私的な返信の・・・「構図」を持っています。
------------------------------------------------------
芸術にルールないし「文法」があるということはいろいろな意味で衝撃的でした。
動画では、4つのキーワードを用いて、現代美術の見方やその構造、企業秘密が語られています。
すてのさんはキーワードとして「圧力」に関心が高いようですね。
私は「文法」があるということそのこと自体に驚きでした。
具体的には「関係性」や「他人と理解すること」というような領域で、私たちが用いている
(と私が考えている)「文法」に大変に類似しているのでは?というものです。
畢竟、作品を理解するという行為は、作者をよりよく知るということにもなるのでしょうから
これは当然のことかも知れません。が、私には衝撃的でした。
作者・作品の「個性」を理解することを、自分ではない誰かの「ヒトトナリ」を
理解することと読み替えて考えたりしているということです。
したがって、作品や作者の「個性」を理解させるために重層化されているであろう
「コンテクスト」の方により強く関心を持ちました。
「文法」があるということは、定義されたは言葉は述語論理が壊れない限り代替可能であり、
別の対象にその「文法」を適応することが出来るのでしょう。効力があるかどうかは別の問題としても。
4つのキーワードは代数だと言ってもいい。芸術とは別のことにも同じ式が使えるというような。
私は世界が数字で出来ているという哲学を持っています。
あるいは論理や式、概念や言葉や記号というようなもので。
芸術のように欲望や情念を扱う世界とはかけ離れていると思うかも知れませんが、
似た「文法」を使っているのだとしたら、似たようなものにアクセスしているのだと思うのです。
誤解を恐れずに言うと、同じものを扱っていると信じているのです。意外でしょうか?(笑)
ベクトルを反転させて考えてみたらどうなるでしょう。
アーティストが理解者を得るということは、自分ではない誰かに自分を理解してもらうことと
同じようなことになるのでしょう。芸術畑ではない私が考えてみても、製作者や作品と鑑賞者・客の間には
表現の地獄があり、溝があるのだと思います。観る者もコンテクストを持っているわけですから。
製作者と作品の間にもまたそのような溝があることは、制作に関わる人はよく知っていると思います。
自分と自分ではない誰かの間にも溝があります。
それはもう絶望的な断絶と言っていい溝が。
何しろこの場合、相手は自分ではないのですから。
それでも人は繋がって生きます。
誰かに理解してもらうためには、効果的に重層化させた「コンテクスト」を持つしかありません。
それ表出が開示なのか提示なのか、あるいは演出であるかといったことはあまり重要ではなく。
当然レイヤーは多ければ多い程良いでしょうし、それを維持し、誰かに伝えるには
膨大な「圧力」が必要になります。社会と繋がるということはそういうことだと思っています。
重層化するということはこの場合、経験を積み上げるということになるのでしょう。
以前お話しした積み上げるという話のときも同じようなことを考えていたのです。
努力した者が全て報われるとは限りませんが、成功したものはすべからく努力している。
やはり、積み上げたものがその手に、作品に、あるいはヒトトナリに宿るのでしょう。
ヒトトナリ(※1)は、為人と書くようです。日本語だと思っていたのですが語源は漢文にあるようです。
元々は生まれつきの気質というような意味だったようですが、性格だけでなく経験や生い立ちの
ようなものを含んだその人のありようといった意味で使われている気がします。
きれいな言葉ですよね。
英語ではone's natureというようですが、google辞書で翻訳すると
なんとPersonality makeupと出てきます。
演出を含んでも良いということでしょうか(笑)
私がSLを楽しいと思うのは、RLとは少し異なる「構図」で誰かのヒトトナリに接触できるから
ということになるのだろうとずいぶん前から考えていたりします。
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(※1)似た言葉にテイタラクというものもあったり(笑)
SLの製作環境があるPCが壊れておりまして。
直す気力より好奇心の圧力のほうが大きい状況にありまして。
私にとってはSLでやっていることそのものなのですが、SLとは関係ない事を書きます。
手紙のような、日記のような。そんな構図を持つチラ裏的なことを今後書いていくタグとして、
Brain in a vatとつけました。あははん♪
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先日懇意にさせてもらっている方のツイッターで村上隆の芸術実践論という
動画のことを知りました。ちょっと長いですが5回に分けてニコニコ動画にあるので。
非常に面白く見れますので。是非に。
視聴後、つぶやき主が次ような文章を書いています。
・すての抄:開発コード:double-H PART45
・すての抄:芸術起業論:村上隆
ちなみに私は芸術起業論も芸術闘争論も現時点で未読です。
近々読むことになると思いますけども。
個人的に、小説や映画・絵画のような作品を観るのも好きなのですが。
作った作者の言葉に、より強い関心があるので、こういう動画は大変興味深くて好きです。
ダイレクトにその人の「ヒトトナリ」にアクセスできるような気がして。
ましてや講義ですので勉強できることはもう間違いないわけで
もう何かをぶんどってくるような圧力を持って観たのです(笑)。
以下は上記の文章と芸術実践論の感想という形の私的な返信の・・・「構図」を持っています。
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芸術にルールないし「文法」があるということはいろいろな意味で衝撃的でした。
動画では、4つのキーワードを用いて、現代美術の見方やその構造、企業秘密が語られています。
すてのさんはキーワードとして「圧力」に関心が高いようですね。
私は「文法」があるということそのこと自体に驚きでした。
具体的には「関係性」や「他人と理解すること」というような領域で、私たちが用いている
(と私が考えている)「文法」に大変に類似しているのでは?というものです。
畢竟、作品を理解するという行為は、作者をよりよく知るということにもなるのでしょうから
これは当然のことかも知れません。が、私には衝撃的でした。
作者・作品の「個性」を理解することを、自分ではない誰かの「ヒトトナリ」を
理解することと読み替えて考えたりしているということです。
したがって、作品や作者の「個性」を理解させるために重層化されているであろう
「コンテクスト」の方により強く関心を持ちました。
「文法」があるということは、定義されたは言葉は述語論理が壊れない限り代替可能であり、
別の対象にその「文法」を適応することが出来るのでしょう。効力があるかどうかは別の問題としても。
4つのキーワードは代数だと言ってもいい。芸術とは別のことにも同じ式が使えるというような。
私は世界が数字で出来ているという哲学を持っています。
あるいは論理や式、概念や言葉や記号というようなもので。
芸術のように欲望や情念を扱う世界とはかけ離れていると思うかも知れませんが、
似た「文法」を使っているのだとしたら、似たようなものにアクセスしているのだと思うのです。
誤解を恐れずに言うと、同じものを扱っていると信じているのです。意外でしょうか?(笑)
ベクトルを反転させて考えてみたらどうなるでしょう。
アーティストが理解者を得るということは、自分ではない誰かに自分を理解してもらうことと
同じようなことになるのでしょう。芸術畑ではない私が考えてみても、製作者や作品と鑑賞者・客の間には
表現の地獄があり、溝があるのだと思います。観る者もコンテクストを持っているわけですから。
製作者と作品の間にもまたそのような溝があることは、制作に関わる人はよく知っていると思います。
自分と自分ではない誰かの間にも溝があります。
それはもう絶望的な断絶と言っていい溝が。
何しろこの場合、相手は自分ではないのですから。
それでも人は繋がって生きます。
誰かに理解してもらうためには、効果的に重層化させた「コンテクスト」を持つしかありません。
それ表出が開示なのか提示なのか、あるいは演出であるかといったことはあまり重要ではなく。
当然レイヤーは多ければ多い程良いでしょうし、それを維持し、誰かに伝えるには
膨大な「圧力」が必要になります。社会と繋がるということはそういうことだと思っています。
重層化するということはこの場合、経験を積み上げるということになるのでしょう。
以前お話しした積み上げるという話のときも同じようなことを考えていたのです。
努力した者が全て報われるとは限りませんが、成功したものはすべからく努力している。
やはり、積み上げたものがその手に、作品に、あるいはヒトトナリに宿るのでしょう。
ヒトトナリ(※1)は、為人と書くようです。日本語だと思っていたのですが語源は漢文にあるようです。
元々は生まれつきの気質というような意味だったようですが、性格だけでなく経験や生い立ちの
ようなものを含んだその人のありようといった意味で使われている気がします。
きれいな言葉ですよね。
英語ではone's natureというようですが、google辞書で翻訳すると
なんとPersonality makeupと出てきます。
演出を含んでも良いということでしょうか(笑)
私がSLを楽しいと思うのは、RLとは少し異なる「構図」で誰かのヒトトナリに接触できるから
ということになるのだろうとずいぶん前から考えていたりします。
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(※1)似た言葉にテイタラクというものもあったり(笑)
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